2017年7月9日日曜日

2017都議選 選挙結果から考える① 共産党議席増の歴史的意味

 今回の都議選は「都民ファーストの会」という小池新党が緑を身につけ、都民ファーストと名乗れば当選できる状況で、共産党は埋没すると予想されていた。おそらく党幹部もそのような自覚をしていただろう。開票特番の序盤では共産党の若林都委員長や小池書記局長から「都民ファーストの出現という難しい条件のもとでの選挙」との言葉が厳しい顔とともにテレビに流れた。これが翌日の敗因声明となるのだろうなと感じた。

 しかしだ。最後の議席を自民党に競り勝った選挙区にどどっと当確出ると現有議席に迫り、並び、追い越すという状況に。「難しい条件の下でも、政権批判の受け皿になり勝利できた」という状況に。共産党にとっても「予想外」の勝利だったのではないだろうか。

 と、言うのも前回の躍進は民主党への信頼回復がされず、2000年代以降の2大政党・政権交代に流れたリベラル・市民派の一部が共産党に流れ、民主党の共倒れなどもあり共産党が躍進したわけだ。そう考えると都民ファーストがいなくても若干議席が減ることは容易に考えられた。

 そこに、小池新党「都民ファースト」の出現だ。高い支持率を背景に候補者を大量擁立したわけだ。若干、公明党の選挙協力により、過半数の候補者を立てるのは辞めたということが結果的に最後の議席を共産党に争わせる状況をうんだわけだが。しかし、「新党」や「第三極」が戦後政治史において共産党や革新勢力の躍進や台頭を抑えてたことを考えれば、「第三の躍進期もここで終わりか」というのが選挙前に誰もが思っていたのではないだろうか。党創立95周年の年に何とも言えない仕打ちだ。だから議席減を最小限に抑えるためにも小池都政に協力的な是々非々など、反小池のレッテル貼りを避けたい共産党の思いはよく伝わってきた。

 90年代の躍進期を振り返ると、国民の政治不信の中、93都議選に小池氏も加わる日本新党が「新党ブーム」をつくり、共産党は勝てなかった。地元、八王子は定数が1増の4になって議席をめざし市議だった清水さんが出たが、日本新党から出だ市議の上島氏が当選して落選している。父の「日本新党にもっていかれたなぁ」という感想が耳に残っている。その後の非自民非共産政権が短命で終わる中、95統一地方選・参院選、96総選挙、97都議選、98参院選、99統一地方選と連続躍進につながった。2000年総選挙は議席を減らすも、小選挙区の得票は伸ばしていた。そんな中それ以降の選挙が「政権選択選挙」のキャンペーンで共産党が選択肢から外れたのだ。その後も「第三極」などの言葉でが出るたびに共産党が「伸びる条件」があっても「伸びない」状況が続いたのだ。

 このような歴史的背景を考えると、今回は「新党ブーム」もある中で共産党の議席が伸びたという戦後政治史ではじめての経験であり、32年ぶりの2期連続議席増という共産党史に刻まれる「歴史的勝利」というわけだ。

 それでは、この共産党史に刻まれる「歴史的勝利」はどのような条件・背景のもと収めることができたのだろうか。次回はこの点を書き留めておきたい。

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