2015年9月21日月曜日

安保関連法案と橋下徹  一考察

8月下旬、橋下徹は維新の党を離党し、秋に大阪維新の会を母体とした国政政党を作ると宣言した。5月の大阪都構想住民投票敗北時の政治家はしない宣言はどうしたのか?と思いつつ、なぜ今?と思った。

直接のきっかけは自主投票を決めた山形市長選に野党共闘の枠で幹事長の柿沢が民共社支援の候補者を応援したことに怒りがあったと。自主投票になった以上、どんな行動をしても問題ないように思えたが、戦争法キャンペーンに維新が乗っかるのは嫌だったのか。だから幹事長辞任要求までいったのか。しかし、橋下の行動は支配層からの何らかの期待があって行われていると見ているので、今回の騒動は何の期待をされているのか考えた。

この橋下離党騒動が出たのは8月下旬。戦争法案廃案8・30行動を控え、週末の法案審議もなく、ニュースから安保関連法案が一瞬消えた日だった。橋下の行動はマスコミは大好き。二日間くらい政治ニュースは橋下離党・新党結成だった。何人くらいついていくのかなどの「票読み」ニュースが盛んに。安易な行動をとった?柿沢よりも男気があるかのように持ち上げられ・・・。一方でこの騒動で安保法案の修正協議としての相手として国会では相手にされなくなるという事態に。国会執行部は大阪系ではないからそのほうがやりやすいのか?そして、ニュースから安保関連法案が少しなくなったなかで8・30行動を迎えたのであった。ねらいはここでないか?8・30直前も委員会審議で混乱すれば(開けば答弁で混乱は当たり前)、余計に火がついて参加者が溢れ出て本当に大成功されると困る官邸サイドに助け舟を出したつもりか、お願いされたのか・・・。

弁護士である橋下はデモはいいかがデモで政治が決めるのはダメだと。8・30行動のあと言っていた。しかし、その後少し影を落とした。橋下の廃案でなく対案というのが反対行動する人たちには受け入れられなかったことを感じたのでは?原発では橋下と協力せよという人もいたが、民主主義という点では橋下の独善的なところに批判する市民運動も多い。国民的支持の高いとされる橋下も今回の運動に入るわけにも行かず、攻撃もできないという状況に陥った。

秋の新党結成・大阪W選へ集中するためか、維新の国会対応に口は挟まず?大阪系も不信任案に賛成した。おかげで?運動には参加しなかったが、野党はがんばれ!に維新は入っていた。

その維新はおおさか維新の会という橋下新党と旧民主・みんな系の維新の党に別れ、民主党を含めた野党再編につながる?そして双方が共産党との選挙協力をする?しない?で判断を迫られる?

この秋の政局の主人公、実は共産党?

しかし、戦争法強行採決後も内閣支持率は微減で保っている安倍内閣。
戦争法廃止暫定政権は多くの国民に受け入れられるか?
多くの国民に受け入れられない目標が合意の前提だと共産党切り捨ての可能性もゼロではない。

 橋下の息の根を潰すためにも、W選挙では反維新で大同団結。そして、国政での反橋下野党間での大同団結。共産党の「上手」な戦術が“民主主義を求める声”として認知されることで、国民の判断基準が目先の利益から普遍的な価値の尊重に意識が変われば安定した先進国での暫定政権樹立の意義が広がるかもしれない。

やはり闘いの中で理論を鍛えるということにつきるのではないだろうか。

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