2015年9月19日土曜日

戦争法案成立に思うこと

小学生の頃の日本国憲法の三原則として習ったのは
・国民主権
・戦争放棄(平和主義)
・基本的人権の尊重
だった。

条文の流れだし、どんな平和主義なのかと言ったら戦争は二度としない平和主義だということがよくわかる流れだ。

歴史学習をした上で、公民的内容に入る小学校6年の社会科授業は本当にわかりやすい。

現代日本社会(=戦後日本社会)は歴史の上に成り立っているのである。決して8月革命というわけでなく、戦前戦中を踏まえて(=反省に立って)成り立っているのであろう。

そう言った意味で、この憲法を中心とした政治社会を実行することが戦争の反省を表明している政府には必要なことなのだろう。

中学、高校では、
・国民主権
・基本的人権の尊重
・平和主義
となっていった。
憲法とは何か。という世界史的視点から人権の尊重から学ぶからであろう。

しかし、日本国憲法の平和主義というものが例外的だと主張したいのか。
今になって思い始めた。

そもそも日本国憲法の平和主義は戦争放棄なのである。小学生には難しい放棄の「棄」という字を書いた記憶は鮮明だ。しかし、中学生、高校生と大きくなったのにこの難しい字を書かなくなったのはなぜか。

それはこの国の安全保障政策で自衛隊の「海外派遣」ということが当たり前になったからではないかと思う。時代に合わせた、支配層が求めている考えにも通じるような人間をつくるためなのだろうか。

今後、集団的自衛権が政府の判断で可能となった。
そうなると日本国憲法の三原則が、
・国民主権
・基本的人権の尊重(公共の福祉の範囲内で)
・積極的平和主義
と、なるのだろうか。

こういうところから法案の反対世論を消し去る支配層の動きが強まるだろう。
次の学習指導要領改訂の取りまとめが大詰めである。

教育の内容は
人文・自然科学の学問の積み重ねによるものか。
それとも、政府の考えによるものか。
これは大きな議論・声をあげてほしい。

教育内容への政治的中立という原則を守った上で、
文科省(国)が学習指導要領を告示したり、教科書検定をすることで、
どこでもだれでも等しく正しい教育内容を受ける権利が可能になるなら
私は学習指導要領をそこまで問題視しない。

しかし、政府の教育内容への介入の道具として
学習指導要領や教科書検定が使われているこの流れの中で
戦争法案が成立したことは
教育の内容は政府の考えによるものという
恐ろしい事態がもはや「あたりまえ」といわれかねない。
こういったことにも反対の声を上げた人たちに考えてもらいたい。

戦争法案を許容しない社会をつくる闘いをはじめよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿