2015年9月14日月曜日

「戦争法案」はレッテル貼り?

レッテル貼り――ここ数年よく聞くワードである。

政権批判すればサヨク、反日など。
そういうことでその主張を抹殺するかのような世の中はおかしいのではないか。
このあたりのことをインターネットの普及ということで考察する動きもあるが、
社会の中での政権批判の受け取り方が変わって行ったのではないかと思う。

そんな中で政府が出した「平和安全法制」を「戦争法案」と反対派が呼んだことをレッテル貼りと安倍総理などは言う。

確かにどう平和を維持するかと真剣に考えている人に戦争派とか決めつけて思考停止にさせたらレッテル貼りになるのかもしれないが、安倍さんの考えている平和というのが武力によって保つもの(積極的平和主義)ならそれは戦争派であり、そういう法整備を目指しているものを戦争法案と呼ぶのはレッテル貼りというより、対立軸を明確にしているのではないだろうか。

つまり、安倍さんが「平和」「平和」と強調することに対し、疑いの目が国民にあり、それが戦争法案との説明とマッチしたのではないだろうか。

実は日本のサヨクが21世紀になって戦争法と呼ぶのは2度目である。前回は小泉政権下での「有事法制」に対し、「戦争法」と特に共産党が呼んだであった。おそらく「備えあれば・・・」という言い回しで小泉さんが言った事で、国民には有事法制=戦争法と浸透はせず、こんなに反対運動は広がらなかっただろう。もちろんレッテル貼りだなんて言わなかった。

ということは、自分たちの意に反し、反対が広がったときはレッテル貼りと言いってるのか、今回のは本当に平和のためで前回の有事法制の本質は戦争法なのか?

本質が国民に広まった=理解されていることにいま相当あせっているのではないだろうか。

レッテル貼り攻撃は安倍さんやその一派の焦りということだろう。

今回ほどの反対運動の広がりが見られなかった有事法制は通常国会で審議未了、秋の臨時国会で成立している。いろいろ原因はあったようだが。

それと比べると今回の強行採決の与党の動きは焦りということだろう。

有事法制の時は朝日が社説で「(政府提出の有事法制では)実際の起こりうる有事に対応できない。」「日本の防衛政策全体をいまの時代に則した見直すときにも来ている」と主張していたように憲法を守らせる立場からの反対ではない反対があった。

しかし、憲法無視の安倍政権への批判や、法案の進む未来、自衛隊幹部のイケイケ状態・・・。時間が経てば経つほどボロがでる。そして国民にばれる=理解が広まる。

継続審議などの「英断」すらできない安倍官邸はもはや暴走するのみというところか。
わたしたちは反対として声を上げることしかできない。
しかし、安倍総理に耳打ちできる人はいるはずだ。
ここは災害対策に集中したいとのことで継続審議すれば国民に丁寧に説明する。
一方的なレッテル貼りには断固抗議するなんとか言えばいいじゃないかとか「アドバイス」すればいいのにと。

そう考えると、この国のフィクサーたちが向いている方向はアメリカなのかなと。だからそんなアドバイスもない。だから安倍も軌道修正できない。

おいおい、国民はどこいったんだ!

こんな人にレッテル貼り言われても・・・、ねぇ。

※有事法制に関する参考文献
渡辺治・三輪隆・小沢隆一編『戦争する国へ 有事法制のシナリオ』旬報社・2002年

0 件のコメント:

コメントを投稿